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松川の大黒さん

松川区史 第二章 江戸時代の松川 第六節 生活と文化 八、農家・商家の信仰

執筆者 檀原 長則 氏 p186~187
 松川の大黒さん

 科学の未発達であった江戸時代は、信仰やまじないによって、生活や行事が規制される面が多かった。中野地方では村で祀る信仰神には、稲荷・八幡・神明(伊勢)・浅間(せんげん)(富士)・熊野・諏訪(御射山 みさやま・風祭り)・戸隠・飯綱・黒姫などがある。また虫送りなどの行事がある。これらの信仰を支えるものとして氏子・組・講がつくられた。個々の家には屋内に祀る神と、屋敷に祀る神があり、同族で祀る神もあった。
 松川村の寛政九年(1797)の「御廻状御触控帳」(吉谷婦美子家文書)には、「出雲国大社造営につき諸国勧化(かんげ)の事」とある。また「社家の願いにより、こんご三年にわたり、諸国に浄財を集めるにつき、寄進者は代官所まで申し出すように」とある。出雲大社の主神は大国主命(おおくにぬしのみこと)であるが、民間では大黒天と結びついた福の神として信仰された。通称「大黒天」、つまり大黒さんである。これが松川の大黒天勧請のひとつの契機になったのではないか。『中野町誌』にも寛政の頃の勧請としるされている。
 当初の大黒天の祠(ほこら)は、立町東側なかほどの小田中堰のふちにあった。ここはのちの関長年(画家)の屋敷である。近隣の有志が集まって大黒天を祀り、農作物の豊作を祈ったのがはじまりとされている。この大黒さんの本尊(木彫)は、台座下に長年作と銘が刻んである。
 弘化四年(1847)に「大黒札配札願」が郡中代市郎右衛門(中野村)から出されている(細野桃枝家文書)。明治六年(1873)にも出雲大社配札人六人が松川村などを巡行している。しかし当時の大黒天(甲子)講の組織の内容は不明である。
 恵比須(戎 えびす)と並んで七福神の筆頭にうたわれている大黒天は、恵比須とともに福徳の二神として、台所やかまど近くに祀られた。
商人の家では商売繁盛の神として、農家では作神・田の神として信仰された。頭に頭きんをかぶり、手に小づちを持ち、米俵の上に座した神像は、穀物の豊作を願う姿を表わしたものである。頭きんは上を見ず、下を見て満足するようにという意味。ネズミが大国主命を救った神話から子(ね)の日が縁日とされ、甲子講(きのえねこう)には大黒天を祀る。

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