大黒天
松川神社の西方向の位置に大黒天の堂があります。かつては春・秋例祭で仮設舞台が建てられ芝居や踊りも行われていたという。
「元治元年(1864)出雲大社より分社したもの」と「開運甲子(きのえね)大黒講」の講員募集の趣旨書に書かれている、とのこと。(松川区史 624pより)
「松川区史」には以下のようにあります。
「大黒天は寛政年間(1789〜1800)に農作物の豊作を祈念して、松川村の有志によって大黒町の突き当たりに祀られたという。大黒天は、恵比寿とともに福徳の来訪を表わすめでたい福神の代表である。商人にとっては商売繁盛の神、農家にとっては作神・田の神とされた。松川の大黒天も民間に広まった信仰であり、記録はまったくのこっていない。明治29年(1896)、郡役所の建設により現在地(松川神社南西)に移転された。
松川の大黒天の堂は、間口一間半(2.7メートル)、奥行二間半(4.5メートル)の建物で、この裏側に大黒天の祠(ほこら)がある。堂のなかには、木製の大黒天像が安置されている。この像には松川出身の画家関長年(せきちょうねん)(1813〜77)の銘がある。長年は江戸で四条派の画法を修め、文久3年(1863)には、最高の絵仏師にあたえられる法橋(ほっきょう)に任じられた。しかし、明治維新の動乱や官位の廃止によって中野に帰り、松川村立町・大黒町、中野村東町に住んだ。この大黒天像は、帰郷後の明治以後の作と考えられる。」(松川区史 173〜174p 第二章 江戸時代の松川 大黒天 より)
● 令和5年11月3日、大黒天秋の例祭が執り行われました。社殿奥の壁を開放、大黒天彫像(本尊)を収めた祠の前に神饌品(米、御神酒、季節の野菜など)をお供えして、近隣の大黒天奉賛会(15世帯で構成)の方々が集まり、収穫を感謝する神事を行いました。
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