松川区の情報を発信

阿弥陀地蔵尊

阿弥陀地蔵尊について「松川区史」には、以下のようにあります。
「阿弥陀地蔵は六軒町をのぼりつめた字阿弥陀堂前地籍に安置されている」(松川区史 172p)
「阿弥陀地蔵は、かつて阿弥陀堂がこの地にあったとき、覚弁阿闍梨が祀ったと伝える。天正年間(1573~91)の洪水のさい、阿弥陀堂はことごとく流出したが、この地蔵のみ流出をまぬかれたという。
 地蔵は奈良時代から信仰されていたが、盛んになったのは、地蔵の現世利益の面が強調された平安時代以降である。江戸時代には、延命、腹帯、子育てなど無数の身代わり地蔵が信仰され、各地で建立されている。
 とくに、地蔵は賽の河原で子供を鬼から救済するとされている。死後の世界は六道と考えられ、墓地を六道原ともいう。地蔵はこの六道をめぐって人々を救済するとされ、墓地に地蔵を建てる例が多い。
 阿弥陀堂というのは、墓堂あるいは墓所堂を意味する場合が多い。南照寺の境内にある五輪塔や大門町・中町から出土した五輪塔は、夜間瀨川の洪水のとき阿弥陀堂から流れてきたという。松川の阿弥陀堂は、中世にはまちがいなく墓所であった。このため、阿弥陀堂地蔵は六道救済のために建てられたのであろう。また、阿弥陀堂は夜間瀨川の旧河道に接しており、ここが賽の河原とも考えられたのではないかと推測される」(同 173p)

「松川区史」巻末の松川区年表には、応永13年(1406)夜間瀨川の大洪水で十三崖ができ、川の流れが北西(現方向)に向かったと伝える、とあり、15世紀ころか、中野氏、「光堂」(阿弥陀堂)を建立(上越市本誓寺文書)、とあります。そして、永正12年(1515)以後、高梨氏が中野に居館を構えたのちに、高梨氏が「阿弥陀堂」を建立(上越市本誓寺文書)、天正6年(1578)、阿弥陀堂、夜間瀬川の洪水により流出したと伝える、とあります。

令和2年10月、建屋を立て直すことになり、しばしの間お地蔵さんがお目見えしました。

土台石には「安永5年制作」と明記されているとのこと。複数の方々での確認だそうです。安永5年は西暦1776年。2020年現在から244年前で、アメリカ独立宣言がなされた年。日本では江戸時代中期、田沼意次老中の時代で、83歳で小布施に来た葛飾北斎はまだ16歳の頃でした。ご近所の有志の方から教えていただきました。

11月末、大伸建築さんの施工によりお地蔵さんは立派な新居に入居(?)されました。これでいつ雪が降っても安心です。

☆ ゴミは正しく出しましょう!!
ゴミと資源物の出し方・分け方

◉ 毎月第1金曜日
朝6:00〜8:00
区民会館駐車場で資源ゴミ回収をしております。

資源ゴミはビン、白色発泡トレイ、ペットボトル、牛乳パック、古紙(新聞、チラシ、雑誌、雑がみ)、ダンボールです。
ビン、トレイ、ペットボトル、牛乳パックはきれいに洗ってから出してください。詳しくは「ゴミと資源物の正しい分け方」をご参照ください。

● 中野市の除雪状況
(提供期間外です)

中野市松川区ウェブサイト
長野県中野市中野1853
0269263112
(電話による予約受付はしておりません)